過去を振り返る
3浪目の終わりに「後悔したことノート」というのをつけていた。
中身は後悔(というよりは反省のほうが近いかもしれない)したことを淡々とつづってあるだけ。だが、いまだにその一言一言に重みがある。
たとえば以下のような記述がある。
「受験ばかりで将来像がぐらつくことがほとんどであった→適度に自分の理想像を確認する機会が必要であった」
もしも「受験」を「大学の試験」に置き換えてもその意図するところは実は同じであるのではないかという気がした。
このノートは恥ずかしいことばかり書いてあって誰にも見せられたもんじゃない。負の自分がつまっているから。
今だに負の自分がいる。負の部分は一生変わらないのだろうか。
かつては「負」もまた自分であるから認め大事にしようと思った。
しかし捨てなくてはならない「負」があることも事実だ。
負・・・。
今日も頑張ることで明日は何かが変わるかもしれない。
努力すれば、少しは改善されるでしょう。
そしてまた、この負の部分を認めてくれてなおかつ厭わないでくれている友人に感謝したいと思った。